【特別インタビュー】防災は温かい気持ちで
防災啓発ドキュメンタリー映画の監督であり、日本防災士機構認定防災士である小川光一さんによる防災コラム。これまで1年間にわたり、さまざまな視点から災害や備えについてまとめていただきました。
最終回となる今回は、インタビュー形式の特別版をお送りいたします。小川さんの経験や想いを受け取り、自分たちの防災にどうやってつなげていくべきなのか。「防災×温かさ」をテーマにお話を伺います。
私たちの多くが抜け落としてしまっていること
――このコラムを通じて防災に関するたくさんのヒントをいただき、ありがとうございました。1年間、振り返ってみていかがでしたか?
こちらこそありがとうございました。まず、防災意識が非常に高いジャクリさんにこのような貴重な機会をいただけた1年間を、とても嬉しく思います。
実際に書いてみて・・・そうですね、防災に従事する組織も、防災を取り上げるメディアも、この10年で劇的に増えたと思います。そんな中で、一風変わった切り口といいますか、「自分が経験したからこそ伝えられるもの」を意識して書くことを心がけました。
――たしかに小川さんの記事には何度もハッとさせられることがありました。特に「防災×ファーストステップ」は印象的でした。
恐れ入ります。47都道府県を回る日々の中で、大勢の人の防災に向き合ってきましたが、避難所、非常食、防災リュックなど、「災害が起きた後」のことだけを考える人が本当に多いんです。「私たちは無傷で助かる前提で防災を考え過ぎていないか」と感じるようになりました。もちろん非常食とかも大事なんですけど、災害が起きたその瞬間に命を守るためのことが先かなと。
とはいえ、誰だって不安なんて抱えながら生きたくないので、仕方がないことではあります。私たちの多くが心のどこかで「自分が被災する」という想像が無意識に抜け落ちてしまっているところがあるんだと思います。自分も、もともとはまさにその一人でした。
――実際にたくさんの人が「自分は被災しない」と無意識のうちに思い込んでいる気がします。小川さんにはどんなきっかけがあったのですか?
東日本大震災の時に、緊急支援の形で岩手県陸前高田市に入ったのですが、滞在中に非常に大きな余震に遭遇してしまったんです。その時に、もう、自分はどう動いたらいいのか分からな過ぎて。「支援しなきゃとかかわいそうとか思うくせに、いざという時に自分の命さえ守る力がないんだな」と愕然としました。
それ以降、ほかにもいろいろなきっかけはありましたが、支援よりも防災に意識が向くようになりました。それから防災士の資格を取り、「自分たちと同じような思いを繰り返さないでほしい」と強く願う被災された方々の声をドキュメンタリー映画にまとめたり、気付けば10年が経っていましたね。
――この10年間できっとほかにもいろいろな思いがあったかと思います。どうして自分の防災だけでなく、映画を作って伝えようと思ったのですか?
ある日、陸前高田市で被災された方と一緒にご飯を食べていたら、お店にあったテレビで、ほかの地域で起きた災害のニュースが流れたんです。その時、「ああ、俺たちの経験って全然活かされてないんだなあ」とテレビを見つめながら、被災された方がボソッとつぶやいて。こういう悲しい連鎖ってずっと続いているんだなと思いました。
でも当時は、復興や立ち上がる姿を見つめるテレビ番組や映画ばかりで、防災の大切さを訴える作品がほとんどなかったんです。なので、自分はもともと映画を作れる立場にある人間だったので、自分がやるしかない、と腰を上げたのが最初でした。
それから、2014年に陸前高田ドキュメンタリー『あの街に桜が咲けば』を完成させて、映画上映と防災講演をセットにして、日本中で防災のメッセージを届ける月日を過ごしました。
本当の優しさとは
――すべての都道府県で防災講演をしたことがある小川さんにとって、印象に残っている体験を教えていただけますか?
そうですね、私が2018年に完成させた2つ目の防災啓発ドキュメンタリー映画『いつか君の花明かりには』では、「大きな災害を2回経験した人」が何人か出てきます。
そういった意味では、「一度被災したからもう自分は大丈夫」とはいかないのがこの世界のつらいところで、やはりそれに伴い、被災した地域から講演の依頼が届くことも結構あります。
――それは驚きました。被災した経験のある地域での講演では、どんな感想が寄せられるんですか?
「被災した自分でさえ風化していることに気付かされた」とか「もう絶対に悲しい思いはしたくないから防災頑張ります」みたいな前向きな感想をいただけることが多いのですが、たまに嫌な顔もされます。当時のつらい記憶をよみがえらせたくない、という思いからでしょう。
阪神淡路大震災を被災した方のお孫さんにあたる女性から、「兵庫では映画を流してほしくない」と強めに言われたこともありました。傷が癒えていない人もたくさんいることは私も十二分に理解しているので、彼女なりの配慮に共感する部分もあります。ただ、それが「本当の優しさ」と言えるのか。迷いを感じたまま、防災講演を続けていた時期もありました。
そして、印象に残っている体験の話につながるんですけど、その後、ある企業で防災講演した際に、「学生の頃に阪神淡路大震災で被災した」という方に出口で声をかけられました。傷付けてしまったのかなと不安になったのですが、このような感想をいただいたんです。
「神戸で被災して以来、ずっと災害が怖くて、このテーマから避けながら生きてきたんです。でも今回、温かい気持ちで防災に取り組む人たち、人生で2回被災した人たち、皆さんを観て、自分もこの日本で生きていく以上、ちゃんと備えないといけないんだって、やっと理解できました。23年も経っちゃいましたけど、あの頃に出すべきだった答えが、今日出た気がします。ありがとうございました」
とても繊細なことなので、これからも気を付けて活動しなければと強く思いますが、自分の映画を、自分の防災を、信じる理由が一つ増えた瞬間だったなと思います。
まずは「防災は大切」と思うだけでもいい
――最近また地震が増えてきたなと感じます。改めてお伺いしますが、どんな防災が重要ですか?
災害の種類によりますが、例えば、地震であれば、「まずは頭部を守ること」に尽きます。家でくつろいでいる時、職場で働いている時など、「よく過ごす場所で大きな地震が起きた際に、手元にあるものの中で、何を使って頭部を守るのか」を一回想像しておくだけでも、未来は変わってくるはずです。
また、「高いところにこんな堅いものがあったら危険だから下に置こう」とか、「この本棚の向きは危ないから方向を変えておこう」とか、危険なものを未然に防いでいくことも、少しずつでもぜひ取り組んでほしいところです。
――いろいろとできることはありますよね。とはいえ、頭では分かっていてもなかなか防災できないという人も多いと思います。
そうですね・・・でも、「防災って大切なんだな」と頭で分かってくれる人が増えるだけでも、素晴らしいことだとは思うんです。そういう人が家族に増えるほど、例えば「停電の時に備えて、ジャクリのポータブル電源を買っておこうと思うんだけど」と誰かが言い出した時に、本来なら猛反対されたかもしれなかったところをみんなが賛成してくれる、なんてことも起きると思うんです。
小中学校や高校に呼ばれて防災講演することも多いですが、親が防災してくれないとしても、彼らが「防災って大切なんだな」と思ってさえいてくれたら、大きくなった時にもしかしたら防災をしてくれるかもしれないですし。
もちろん防災する人がどんどん増えるに越したことはないですけど、みんなで少しずつ「防災って大切だよね」という温かい空気を育んでいくことも、絶対にいつか大きな流れを作っていくと信じています。
「皆さん」だからこそ届けられる範囲で
――みんなで防災の意識を作っていくことが大事なんですね。小さな積み重ねですね。
そうですね。小さな成功体験の積み重ねが重要なのかなと思っています。なかなか伝わらない時があったとしても、伝わった経験があれば、一人一人が防災をやめない支えになります。
――小川さんは今までにどんな成功体験をされましたか?
私が育った家庭は防災意識が低くて、私が防災の仕事をしていても、家族はピンと来てくれないというか、少し冷めた目でさえ見られていました。でも、何度も誘った末に、ある日、母親が私の防災講演を聞きに来てくれたことがありました。
私が防災の大切さを力説している間、会場の隅に座っていた母はずっと無表情で。そして、終了してすぐにそそくさと帰ってしまったので、「これは伝わらなかったな」と落ち込んだのですが、後日実家に帰ると、玄関にたくさんの防災グッズが置いてあって。
「うわぁ・・・伝わったんだな」と胸が熱くなったことを今でも覚えています。大切な人と一緒に防災したくてもなかなか形になりづらい時もあって、私自身もたまに心が折れそうになりますが、そんな時にこの成功体験を思い出して踏ん張れているところがあります。
――そういった経験が1つあるだけでも、より防災を周りに広めようと思えますね。
こういう積み重ねなんだと思います。けれど、私は自分の母親に伝えることができましたが、限界はあります。今この記事を読んでくださっている方の大切な人には、伝えられないかもしれない。「皆さんだからこそ届けられる範囲」というのがそれぞれにあると思んです。私も私が届けられる範囲で闘っていくし、皆さんも皆さんの範囲でできることをしてほしいです。
そして、いざ皆さんが自分の届けられる範囲で防災を伝える時に、その温度差で苦戦した時に、この防災コラムたちが役に立てば本望です。そのために、かわいい防災グッズから始まり、防災ボードゲームや面白い避難訓練など、さまざまな武器を紹介してきました。
――これまでの11本の記事が一つにまとまったような気がしました。改めて意義のある連載をありがとうございました。最後にこの記事を読んでいる方にメッセージをお願いします。
このコラムを1つだけでも、全部でも、読んでくださった皆さま、ありがとうございました。防災はやることがいっぱいです。いろいろ言ってはしまいましたが、やりたいことからやればいいとも思っています。それこそジャクリ製品も、一気に防災力が向上する最強グッズの一つですので、私も何個か所持しています。ぜひ皆さんもゲットしてほしいなと思います。
最後に・・・残念ながら、日本全国で災害は起き続けます。けれど、私たち次第で、もっともっと守れる命はたくさんあると思っています。怖い、堅苦しい、面倒臭い、ネガティブなイメージも付きまとう防災ですが、もっとみんなで、温かい気持ちで向き合えたらなあといつも思います。私一人ではどうにもならないので、「皆さんだからこそ届けられる範囲」で、どうぞよろしくお願いします。
著者プロフィール
小川光一(おがわこういち)
1987年東京生まれ。作家、映画監督。
国内外を問わず、防災教育や国際支援を中心に活動。日本唯一の「映画を作ることができる防災専門家」として、全47都道府県で講演実績がある。2016年に執筆した防災対策本『いつ大災害が起きても家族で生き延びる』は日本・韓国の二カ国にて出版されている。日本防災士機構認定防災士/認定NPO法人 桜ライン311理事ほか。現在、著書「太陽のパトロール~親子で一緒に考える防災児童文学~」が発売中。